当時、
織田信長といってもまだ尾張半国を支配するていどの土豪みたいなものでよ、それに比べりゃ
今川義元は駿河〜三河まで東海三国を支配する大大名で天下統一優勝候補の筆頭だぜ。それが上半身デブの大男でよ公家かぶれして、
お歯黒なんぞしておるが一騎討ちしても負けたことがねぇ。そんなのが号称四万の軍勢率いて上洛するっていうんだからよ、それも上方で幅をきかせてる三好や松永みてぇな愚連隊じゃねえ筋金入りの軍隊なんよ、
通り道にされるとなりゃ降参して一緒にお供いたしますってのが普通だぜ。信長もそう思ったんじゃねえのか。
ところが桶狭間の田楽狭間あたりまで来て義元はええ〜い暑いのうと鎧も脱いで「ここら当りの土地ゴロに織田信長っちゅうのがおって、もうそろそろこの辺でまろのところへ挨拶にくるとこらじゃ、いつまでもゴネテもしょせん小物じゃ」と宴会をはじめだした。
一方、信長は「すんませんでした!」となんとかとりつくろって義元のところへ行って謝ろうと思ったが実際に義元本陣を見下ろせば狭間の地形で長々と今川軍は伸びきっておる上に主要な部隊も各地に分散してる。
よく見れば義元が鎧も脱いでくつろいで宴会などしてるじゃないか、こりゃ彼奴の首が取れるぞ!よし気が変わった!義元討つべし!!
織田軍の奇襲を夢にも考えなかった義元はまわりが騒がしくなっても「なんじゃ威勢がええのう酔っ払って誰ぞケンカでもやりだしよったか」などと豪傑ぶっておったが結局奮闘むなしく三人がかりで取り押さえられて討取られてしもうた。
この番狂わせとも言える大穴で喜んだのが甲斐の武田信玄、同盟国とはいいながらも東海の覇者今川義元は、目の上タンコブみたいなもんでよく会社の重役同士でも普段仲良くしておっても自分に関係のないところで失脚してくれたおかげで自分の席次が上がり内心にたりと笑いたくなるようなもんじゃ。
この義元の大ポカはその後の信長の活躍からしてただの一発屋じゃないのでまぐれだったとも言い切れないがどうせうまく上洛できても大内氏が上洛した時と同じ程度で戦国時代が長引いただけだったろうと思うが。